大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和61年(あ)390号 決定 1988年3月17日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人石川寛俊の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない(なお、警察官がパトカーにより最高速度を超過して速度違反車両を追尾した場合において、赤色警光灯をつけていなかつたからといつて、警察官について道路交通法二二条一項違反の罪の成否が問題となることがあるのは格別、右追尾によつて得られた証拠の証拠能力の否定に結びつくような性質の違法はないと解するのが相当であるから、原判決が右のような追尾によつて得られた本件速度測定結果を内容とする証拠につきその証拠能力を肯定した判断は、結論において正当である。)。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官大内恒夫 裁判官角田禮次郎 裁判官髙島益郎 裁判官佐藤哲郎)

弁護人石川寛俊の上告趣意

第一点<省略>

第二点

原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一、原判決は、大阪府警察本部交通部高速道路交通警察隊所属の大瀬靖博巡査、同安藤正晴巡査部長の両名がパトカーに乗務して交通指導取締に従事中被告人車の追い上げを開始してから速度測定完了時まで赤色灯を点灯しないで走行したのは、道路交通法施行令一四条の規定に照らし、道路交通法二二条一項に違反するところがあつたものといわねばならない、として本件取締行為が違法である旨明らかにした(判決書二丁表から三丁裏)。

しかし、パトカーの外形や走行状態などから、警察用自動車が緊急の用務に従事中であることが外形上も容易に判断できる状況にあつたと認められ、またパトカーの高速運転によつて交通の安全が損なわれるような事態が生じたわけでなく、専ら検挙の確実性を期するためで右警察官らにことさら法令の規定を潜脱しようとする意図があつたとまで認められないなどの理由から、前記違法は所論の写真の証拠能力を否定しなければならないほど、重大なものとは到底考えられないとした(同四丁裏)。

さらに免許証の交付を強要したことを窺わせるような証拠は存在しないとも判示している(同五丁裏)。

二、しかしながら元来道路交通法二二条一項によつて最高速度が制限されているのは、高速度による車両進行にともなう交通の安全を保持するためであるから、具体的に安全が損なわれたか否かにかかわりなく処罰するとの趣旨である。またその車両が一般私人用であるか公用であるかによる処罰上の区別もない。たゞ同法第三九条、四一条、同法施行令一四条による所定の要件を備えた緊急自動車のみが、最高速度を越える走行が許されている。そして緊急自動車にサイレンの吹鳴及び赤色灯の点灯が義務づけられているのは、緊急自動車が緊急用務に従事中であることを客観的に表示することによつて(一般車はこれに対する避譲義務を負わされ)交通の安全を図ろうとしたものである。

したがつて単に緊急自動車(道路交通法施行令一三条一項によれば、一ないし一〇号に揚げる自動車で、その自動車を使用する者の申請に基づき公安委員会が指定したものに限られる)というだけでは足りず、それが外形的にも緊急用務に従事中であることが表示されていなければ最高速度違反の罪となる。いわゆる白黒パトカーは右施行令一三条一項一号の四にいう「警察用自動車のうち、犯罪の捜査、交通の取締その他の警察の責務の遂行のため使用するもの」に該当すると一般に考えられることはあつても、それだけで常に緊急用務に従事中とみなされ、施行令一四条の要件にいうサイレンの吹鳴及び赤色灯の点灯を要しないとまではいいえない。

三、そうすると原判決が本件取締行為は違法であるがその程度がさほど重大でないとする理由はいずれも失当である。いわゆる白黒パトカーであれば外見上「警察の責務の遂行のため使用するもの」であることは容易に判断しうるが、それだけでそれが「緊急用務に従事中であると容易に判断できる状況である。」との判示は誤りである。もし、白黒パトカー(あるいは赤い消防自動車や白い救急車)が高速で走行する場合には、常に緊急用務に従事中であると推測しうるとの趣旨であるなら、施行令一四条を無視する暴論となる。

また違法な走行によつて具体的に交通の安全が損われた否かは道交法二二条違反の罪の成立に関係ないから、この点の指摘も当を得ていない。さらに専ら検挙の確実性を期するためとか法令を潜脱する意図がないとかの指摘も事実に相違している。施行令第一四条但書が時に警察用自動車が速度違反を取締る場合においてはサイレンを鳴らすことを要しないと要件を緩和し、赤色灯義務まで解除しなかつたのは、道路交通の安全確保のためにはたとえ速度違反を取締る場合といえども、少なくとも赤色灯を点灯することで緊急用務に従事中であることを知らしめねばならないとの考えに基づき、これがために多少検挙の実効性が害されることがあつてもやむをえないとの趣旨に出たと考えざるをえない。したがつて法はたとえ検挙の確実性を期するためといえども、赤色灯義務まで解除しないことを明らかにしており、警察官がこの法を(潜脱するというより一歩進んで公然と)無視してはばからない態度はいかなる意味からも容認し難い。安藤警察官は、本件に限らずまた他の警察官も同様に赤色灯を点灯しないでも正当な職務行為であると考えていると証言する(第一審六四公判安藤証人尋問調書四二丁表以下)。また大瀬警察官も赤色灯はつけなければならないけれど、パトカーとわかるからつけない例は本件に限らない旨証言している(同第五回大瀬証人尋問調書二丁裏)。要するに両警察官は、一般にこのように赤色灯を点灯しなくとも適法であると信じているのである。

四、このように本件にかかわる証拠によれば、右警察官の犯した違法は、端的に道路交通法第二二条にいう最高速度違反の罪であり自らその罪を犯すことによつて初めて同じ罪を犯した被告人を弾劾しうるという自家撞着に陥つており、他の重大な法益を保護するため偶々警察活動の過程で軽微な違法を犯したという特殊例ではないから救済に値しない。

最高裁判所第一小法廷昭和五三年九月七日判決(刑集第三二巻六号一六七二頁)によれば、「証拠物の押収等の手続に、憲法第三五条及びこれを受けた刑事訴訟法二一八条一項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定されるべきもの」と解釈されている。しかるに本件では、確かに憲法に直接抵触するような違法行為ではないけれど、取り締るべき違法と証拠物収集手続における違法とは全く等価値であり、しかも一連の捜査過程における部分的な違法にとどまらず、速度違反立証という捜査手続全体にわたつて法令違反が貫徹されており、取締警察官自ら行つた違法によつて初めて被告人の違法を立証できるという関係にあるから、違法の程度は到底無視できるものではない。もとより取締用の警察自動車については道路交通法上の特権が付与されてはいるが、それは所定の要件を充足した場合のみ正当化されるとするのが法治国家の当然の要求である。

また違法捜査抑制の見地からしても、速度違反の取締において現在ではオービスⅢなど各種の自動取締装置が開発実用化されており、あえて本件の如き違法行為によらなくても取締の実効は期待しうる。警察車両というだけでサイレンも赤色灯も無いまゝ縦横無尽に速度違反が許されるのなら、道路交通秩序は混乱するであろうし、速度違反取締の正当性は維持しえない。本件二警官の供述に見られるように、自らは道路交通法の諸規定を意図的に無視しながら、一般市民に同じ道路交通法違反(のそれも同じ条項)で検挙をなすという背理がまかり通つている。将来における違法な捜査活動を抑制す見地からもこれを看過するのは相当でない。被告人の行為のみが公訴提起され、二警察官の速度違反行為は全く等閑視されているのでは、正義が実現されているとは言い難い。

よつて右違法行為がなければそもそも被告人の検挙という事態も生じなかつた関係にあり、その影響は一証拠資料たる写真の証拠能力いかんにとどまらず、本件検挙手続全体を特色づけるものであるから、これを証拠として取調べた措置を是認した原判決には訴訟手続の法令違反がある。

《参考・原判決理由(抜粋)》

本件控訴の趣意は、弁護人石川寛俊作成の控訴趣意書記載のとおり(ただし、控訴趣意第一点は事実誤認の主張に尽きる旨釈明した。)であり、これに対する答弁は、検察官小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一、控訴趣意第二点(訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原審が証拠として取調べた司法警察員撮影の道路交通法違反事件現場写真は、(一)警察用自動車が被告人車を速度違反車両として検挙するに当たり、緊急自動車の要件である赤色警光燈の点燈を怠つたまま指定最高速度を超えて被告人車を追尾走行し、その結果右警察用自動車備付けの速度計に表示された指針の状況等を写真に撮影し、(二)また取締りの警察官が被告人に対し、法律上提示義務のない免許証の交付を強要してこれを取り上げたうえ、その免許証を右速度計とともに写真に撮影したもので、違法収集証拠として証拠能力がないから、これを証拠として採用し、挙示の各証拠とともに事実認定の資料とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで検討するのに、原判決挙示の証拠によれば、大阪府警察本部交通部高速道路交通警察隊所属警察官大瀬靖博巡査、同安藤正晴巡査部長の両名は、原判示日時場所において、警察用自動車(いわゆるパトカー。以下単にパトカーという。)に乗務して速度違反等の交通指導取締りに従事中、原判示の指定最高速度五〇キロメートル毎時を越える速度で進行している疑いの濃い被告人車を発見したので、直ちにこれを追い上げ、約三九二メートル進行した地点で、第三車線上を進行中の被告人車の左後方約二〇メートルの第二車線上に位置して速度測定を開始し、爾後二〇〇メートルにわたつて同車と約二〇メートルの等間隔を保つてこれを追尾したうえ、パトカーに備え付けられた速度計のストツプボタンを押してその指針を固定させ、速度測定を完了したが、その結果右速度計の指針が七四キロメートル毎時を示していたこと、右警察官両名は、パトカー備付けのサイレンを吹鳴せず、また赤色の警光燈も点燈しないまま、右追い上げを開始して速度測定を終え、右速度計の指針を確認した段階で、はじめてサイレンを吹鳴するとともに赤色の警光燈を点燈して被告人に停止を命じ、被告人車を原判示道路の第四車線上に停止させ、同所において、応援のため駆けつけた前記警察隊所属警察官阿部光夫巡査部長をして、右パトカー内の速度計の指針の状況を、そのころ被告人から提出させた運転免許証をその傍らに添えて、写真撮影させたこと、検察官は、原審第六回公判期日に、右パトカーの速度測定結果を立証するため、右写真の証拠調べを請求し、原裁判所は、同第一三回公判期日において、これを採用して証拠調べをしたことが認められる。

右事実によると、被告人車の追い上げを開始してから速度測定完了時まで赤色の警光燈を点燈しないで進行した右パトカーは、道路交通法施行令一四条の規定に照らし、右の間緊急自動車としての要件を欠いた状態で指定最高速度を越える速度で進行したもので、道路交通法二二条一項に違反するところがあつたものといわなければならない。

しかし、原判決挙示の証拠によると、右パトカーは一見して警察用自動車とわかる外形を備え、かつこれに乗務していた警察官らは、長年交通取締りに従事してきた経験に基づき、進路前方に交通の危険がないことを確認しながら、被告人車の直後をこれとほぼ同一の高速度で追尾したことが認められるから、このようなパトカーの外形や走行状態などから、警察用自動車が緊急の用務に従事中であることが外形上も容易に判断できる状況にあつたと認められ、これに右警察官らの運転態度を勘案すると、右パトカーの高速運転によつて交通の安全が損なわれるような事態が生じたわけではなく、また測定完了と同時にサイレンを吹鳴し赤色の警光燈を点燈しているのであるから、測定時に警光燈を点燈しなかつたのは専ら検挙の確実性を期するためであつたと認められ、右警察官らにことさら法令の規定を潜脱しようとする意図があつたとまでは認められないし、他方、これによつて被告人は、パトカーが交通取締りのため高速度で追尾してくるのを予め察知できなかつたという事実上の不利益を受けたに止まり、それ以上になんらかの具体的な権利を直接侵害されたものでもないことに照らすと、パトカーが指定最高速度を越える速度で被告人車を追尾進行した際、警光燈を点燈しなかつた違法は、その際にパトカー備付けの速度計に表示された指針の状況等を撮影した所論の写真の証拠能力を否定しなければならないほど、重大なものであるとは到底考えられない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例